1993-11-08 第128回国会 参議院 決算委員会 第3号
現在、広大なインドネシアの諸島ですが、当時、蘭領東インド、私ども子供のときから蘭印という呼び名で覚えておりましたが、日本はオランダには宣戦布告しなかったのであります。ところが、日本が米英両国に戦いを宣しました翌日にオランダ側から戦いを宣してきた。そこで日本はオランダとも戦端を開き、この地方からオランダ軍を一掃いたしまして、この土地をも本来の住民に解放したわけであります。
現在、広大なインドネシアの諸島ですが、当時、蘭領東インド、私ども子供のときから蘭印という呼び名で覚えておりましたが、日本はオランダには宣戦布告しなかったのであります。ところが、日本が米英両国に戦いを宣しました翌日にオランダ側から戦いを宣してきた。そこで日本はオランダとも戦端を開き、この地方からオランダ軍を一掃いたしまして、この土地をも本来の住民に解放したわけであります。
○中曽根国務大臣 政府は当時から蘭印交渉等を行なって、石油資源の確保に非常に努力しておったようであります。大戦の発端になった動因の一つとして、そういうものもあるのではないかと思います。私は堀さんと同じように当時海軍におって、十一月の初めでありましたか、巡洋艦「青葉」の上で当時の通信長と大きな激論をやったことがある。
そこで、引き揚げた場合においての国内の事情も非常にこんとんといたしておりまして、立ち上がりがきわめて困難であるので、そういう方々に再起の資料として給付金を支給することになっているわけでございまして、さような面から見ますと、南洋群島あるいは蘭印等から引き揚げた方々についても、これに類似した点は十分あろうかと考えられますが、この問題につきましては当初法律制定の際にも種々論議があった結果でございまして、つまり
ところが、閣議決定ではございませんけれども、軍の強制命令でやはり終戦以前に引き揚げてきた者が、フィリピン、蘭印、シンガポール、雲南、こういう方面にもやはりあるようでございまして、そうすると、どの辺に限界線を置くかということが、なお一つ皆さんと一緒にまた相談を申し上げなければならぬのじゃないか、こう思いましたので、とりあえずは一年間の延長をはかっておいて、そしてこれらの地域の問題について、また終戦前引
(第 二三二八号) 八二二 戦傷病再発医療費全額国庫負担に関する 請願(花村四郎君紹介)(第二三二九号) 八二三 健康保険法の一部改正反対に関する請願 (吉川兼光君紹介)(第二三三〇号) 八二四 同(横錢重吉君紹介)(第二三七七号) 八二五 日雇労働者の賃金値上げ等に関する請願 (永山忠則君紹介)(第二三七八号) 八二六 引揚者給付金等支給法案中の支給範囲に 終戦前旧蘭印引揚者包含
昨年の十二月三十一日現在で申しますというと、ソ連が四十七万一千人、千島、樺太が二十九万二千人、満州が百四万五千人、大連が二十二万五千人、北鮮が三十二万二千人、中華民国が百五十三万人、香港が一万九千人、南鮮が五十九万六千人、台湾が四十七万九千人、本土近接諸島が六万二千人、蘭印が一万五千人、仏印が三万二千人、太平洋諸島が十三万人、フィリピンが十三万三千人、東南アジアが七十一万一千人、ハワイが三千人、オーストラリア
ただ、私ども先ほど形式的な一つの線の引き方を申し上げましたのは、ひとり内南洋、蘭印にとどまらず、終戦前の引き揚げは相当多数あちこちからあるようでございます。もう少し実情を調べまして、どこまでがこの引き揚げと同一視し得るものであるかどうか、どの程度までが同一視し得るかどうかということをもう少し検討する余地があるのではないかと思います。
お話の通り、終戦前、内南洋から引き揚げた方々、及び大東亜戦争開始直前に蘭印等から引き揚げた方々と、これらと同様の事情の方々があるのでございまするが、ただ今度の終戦に伴っての強制引揚の方々は、いずれも日本国の権限の及ばなくなった状態において、裸一貫で内地に引き揚げてきたという特殊性があるのであります。
あと小笠原島につきましてどうであったのか、あるいはこれと同じようなものがあったのかとも思われますが、その点今資料を持っておりませんが、蘭印その他につきましては閣議決定はなかったようであります。
そして本人の意思でなく、ある期間まあ捕虜というような、抑留者の生活もして、そしていろいろな制限下に生活して引き揚げられた、まあその全生活の基盤を失ったということについて、給付金をいろいろな意味から考えまして、そして差し上げよう、こういう趣旨から出たものでございまして、ただいま小西委員のお述べになりましたように、たとえば南洋群島であるとかあるいは蘭印からの戦時下、軍の要請によって、同時に承り保護によって
————————————— 四月十八日 引揚者給付金等支給法案中の支給範囲に終戦前 旧蘭印引揚者包含の請願(福田篤泰君紹介) (第二七九三号)引揚者給付金等支給法案中の 支給範囲に戦前旧マレー引揚者包含の請願(福 田篤泰君紹介)(第二七九四号) 衛生検査技師の身分法制定に関する請願(八田 貞義君紹介)(第二七九五号) 同(平野三郎君紹介)(第二七九六号) 同(田中武夫君紹介)(第二八四六号
同外一件(林博君紹介)(第二七四四号) 環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律 制定の請願(福田篤泰君紹介)(第二七二〇 号) 同(薩摩雄次君紹介)(第二七四三号) 角膜移植に関する請願(松前重義君紹介)(第 二七三一号) 大工、左官及びこれに準ずる労働者の社会保障 に関する請願外一件(三宅正一君紹介)(第二 七三二号) 引揚者給付金等支給法案中の支給範囲に終戦前 旧蘭印引揚者包含
○田邊政府委員 大束亜戦争の開始直前にインドネシア、旧蘭印地区でありますが、そこから引き揚げたのは五千七百名であります。それから大東亜戦争の末期に内面洋から引き揚げたのが、十八年十二月から十九年九月まででありますが、一万六千名を越しております。マレー、シンガポールから帰ったのが約千名。これは陳情で、その他ビルマ地区、中南支沿岸都市から相当多数帰っているようであります。
————————————— 四月一日 引揚者給付金等支給法案中の支給範囲に終戦前 旧蘭印引揚者包含の請願(床次徳二君紹介)( 第二五四八号) 同(千葉三郎君紹介)(第二五八八号) 同(松永東君紹介)(第二五八九号) 同(田中稔男君紹介)(第二六〇五号) 同(田原春次君紹介)(第二六〇六号) 大工、左官及びこれに準ずる労働者の社会保障 に関する請願(亘四郎君紹介)(第二五四九 号)
労働政務次官 伊能 芳雄君 労働事務官 (大臣官房総務 課長) 村上 茂利君 委員外の出席者 厚生事務官 (社会局保護課 長) 尾崎 重毅君 専 門 員 川井 章知君 ――――――――――――― 三月二十六日 引揚者給付金等支給法案中の支給範囲に終戦前 旧蘭印引揚者包含
また今のインドネシア、当時の蘭印だって持っておったのです。しかしこれは行けると、強くないと見たものですから、どんどん侵略していったのです。
○松本(七)委員 けさいただいた資料で対外債務説明資料というものの中にごく大ざっぱにしか出ていないのですが、この三の「平和条約にもとずく諸クレーム」というので、「戦時中日本にあった旧連合国財産の蒙った損害に対する補償請求は米、英、蘭、印等十八カ国からなされ、」件数もこれこれとある。
この議定書は、日本は第二次大戦中、旧蘭印において抑留されたオランダ民間人に対し、見舞金として千万ドルに相当するポンドを、五年間に分割して支払うことを内容としたものでありまして、これは、サンフランシスコ平和条約調印の際、わが吉田全権とオランダ全権との間に、第二次大戦中、旧蘭印で抑留されたオランダ民間人のこうむった苦痛に対し、日本は好意ある自発的措置をとることを確認した書簡が交換された後に、初めてオランダ
○政府委員(下田武三君) 戦時中旧蘭印で抑留いたしましたオランダ人と同様の目に合いました連合国人は実は各地にあるわけでございます。香港におりましたイギリス人を抑留いたしましたり、あるいはマレー方面におきまして、シンガポールにおきまして、それぞれシビリアンを抑留したこともあるわけでございます。
初めから出したわけでは実はないのでありまして、オランダの議員側が蘭印における抑留問題を鋭く質問をいたしましたときに、オランダ政府はたまりかねて、実はこういう書簡を吉田総理とかわしておるのだという、オランダ政府の立場を有利ならしめるために、オランダの国会に出してしまった。
第二次世界大戦中、旧蘭印地域に在住し日本軍によって抑留されたオランダ国民は、食糧不足、悪居住条件、衛生及び文化施設の欠如等によって多大の苦痛をこうむり、その結果として多数の死亡者及び廃疾者を出したのでありますが、昭和二十六年九月のサンフランシスコ平和会議に際し、オランダ政府は、この問題を提起し、その結果わが国の吉田全権委員とオランダのスティッケル全権委員との間で書簡の交換を行い、右の被抑留者が受けた
第二次世界大戦中、旧蘭印地域に在住し日本軍によって抑留されたオランダ国民は、食糧不足、悪居住条件、衛生及び文化施設の欠除等によって多大の苦痛をこうむり、その結果として多数の死亡者及び廃疾者を出したのでありますが、昭和二十六年九月のサンフランシスコ平和会議に際し、オランダ政府は、この問題を提起し、その結果わが国の吉田全権委員とオランダのスティッケル全権委員との間で書簡の交換を行い、右の被抑留者が受けた