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66件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1993-11-08 第128回国会 参議院 決算委員会 第3号

現在、広大なインドネシア諸島ですが、当時、蘭領東インド、私ども子供のときから蘭印という呼び名で覚えておりましたが、日本オランダには宣戦布告しなかったのであります。ところが、日本米英両国戦いを宣しました翌日にオランダ側から戦いを宣してきた。そこで日本オランダとも戦端を開き、この地方からオランダ軍を一掃いたしまして、この土地をも本来の住民に解放したわけであります。

木暮山人

1971-02-19 第65回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

中曽根国務大臣 政府は当時から蘭印交渉等を行なって、石油資源の確保に非常に努力しておったようであります。大戦の発端になった動因の一つとして、そういうものもあるのではないかと思います。私は堀さんと同じように当時海軍におって、十一月の初めでありましたか、巡洋艦「青葉」の上で当時の通信長と大きな激論をやったことがある。

中曽根康弘

1961-03-02 第38回国会 衆議院 社会労働委員会 第10号

そこで、引き揚げた場合においての国内の事情も非常にこんとんといたしておりまして、立ち上がりがきわめて困難であるので、そういう方々に再起の資料として給付金を支給することになっているわけでございまして、さような面から見ますと、南洋群島あるいは蘭印等から引き揚げ方々についても、これに類似した点は十分あろうかと考えられますが、この問題につきましては当初法律制定の際にも種々論議があった結果でございまして、つまり

畠中順一

1960-05-09 第34回国会 参議院 社会労働委員会 第30号

ところが、閣議決定ではございませんけれども、軍の強制命令でやはり終戦以前に引き揚げてきた者が、フィリピン蘭印、シンガポール、雲南、こういう方面にもやはりあるようでございまして、そうすると、どの辺に限界線を置くかということが、なお一つ皆さんと一緒にまた相談を申し上げなければならぬのじゃないか、こう思いましたので、とりあえずは一年間の延長をはかっておいて、そしてこれらの地域の問題について、また終戦前引

高野一夫

1957-05-15 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第51号

(第    二三二八号) 八二二 戦傷病再発医療費全額国庫負担に関する    請願花村四郎紹介)(第二三二九号) 八二三 健康保険法の一部改正反対に関する請願    (吉川兼光紹介)(第二三三〇号) 八二四 同(横錢重吉紹介)(第二三七七号) 八二五 日雇労働者賃金値上げ等に関する請願    (永山忠則紹介)(第二三七八号) 八二六 引揚者給付金等支給法案中の支給範囲に    終戦前旧蘭印引揚者包含

会議録情報

1957-05-14 第26回国会 参議院 社会労働委員会 第32号

昨年の十二月三十一日現在で申しますというと、ソ連が四十七万一千人、千島、樺太が二十九万二千人、満州が百四万五千人、大連が二十二万五千人、北鮮が三十二万二千人、中華民国が百五十三万人、香港が一万九千人、南鮮が五十九万六千人、台湾が四十七万九千人、本土近接諸島が六万二千人、蘭印が一万五千人、仏印が三万二千人、太平洋諸島が十三万人、フィリピンが十三万三千人、東南アジアが七十一万一千人、ハワイが三千人、オーストラリア

田邊繁雄

1957-05-08 第26回国会 参議院 社会労働委員会 第29号

ただ、私ども先ほど形式的な一つの線の引き方を申し上げましたのは、ひとり内南洋蘭印にとどまらず、終戦前の引き揚げは相当多数あちこちからあるようでございます。もう少し実情を調べまして、どこまでがこの引き揚げと同一視し得るものであるかどうか、どの程度までが同一視し得るかどうかということをもう少し検討する余地があるのではないかと思います。

田邊繁雄

1957-05-08 第26回国会 参議院 社会労働委員会 第29号

お話の通り、終戦前、内南洋から引き揚げ方々、及び大東亜戦争開始直前蘭印等から引き揚げ方々と、これらと同様の事情方々があるのでございまするが、ただ今度の終戦に伴っての強制引揚方々は、いずれも日本国の権限の及ばなくなった状態において、裸一貫で内地に引き揚げてきたという特殊性があるのであります。

田邊繁雄

1957-05-07 第26回国会 参議院 社会労働委員会 第28号

そして本人の意思でなく、ある期間まあ捕虜というような、抑留者生活もして、そしていろいろな制限下生活して引き揚げられた、まあその全生活の基盤を失ったということについて、給付金をいろいろな意味から考えまして、そして差し上げよう、こういう趣旨から出たものでございまして、ただいま小西委員のお述べになりましたように、たとえば南洋群島であるとかあるいは蘭印からの戦時下、軍の要請によって、同時に承り保護によって

神田博

1957-04-19 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第41号

————————————— 四月十八日  引揚者給付金等支給法案中の支給範囲終戦前  旧蘭印引揚者包含請願福田篤泰紹介)  (第二七九三号)引揚者給付金等支給法案中の  支給範囲に戦前旧マレー引揚者包含請願(福  田篤泰君紹介)(第二七九四号)  衛生検査技師身分法制定に関する請願(八田  貞義君紹介)(第二七九五号)  同(平野三郎紹介)(第二七九六号)  同(田中武夫紹介)(第二八四六号

会議録情報

1957-04-11 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第37号

 同外一件(林博紹介)(第二七四四号)  環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律  制定請願福田篤泰紹介)(第二七二〇  号)  同(薩摩雄次紹介)(第二七四三号)  角膜移植に関する請願松前重義紹介)(第  二七三一号)  大工左官及びこれに準ずる労働者社会保障  に関する請願外一件(三宅正一紹介)(第二  七三二号)  引揚者給付金等支給法案中の支給範囲終戦前  旧蘭印引揚者包含

会議録情報

1957-04-10 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第36号

田邊政府委員 大束亜戦争開始直前インドネシア、旧蘭印地区でありますが、そこから引き揚げたのは五千七百名であります。それから大東亜戦争の末期に内面洋から引き揚げたのが、十八年十二月から十九年九月まででありますが、一万六千名を越しております。マレーシンガポールから帰ったのが約千名。これは陳情で、その他ビルマ地区中南支沿岸都市から相当多数帰っているようであります。

田邊繁雄

1957-04-02 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第33号

————————————— 四月一日  引揚者給付金等支給法案中の支給範囲終戦前  旧蘭印引揚者包含請願床次徳二紹介)(  第二五四八号)  同(千葉三郎紹介)(第二五八八号)  同(松永東紹介)(第二五八九号)  同(田中稔男紹介)(第二六〇五号)  同(田原春次紹介)(第二六〇六号)  大工左官及びこれに準ずる労働者社会保障  に関する請願亘四郎紹介)(第二五四九  号)

会議録情報

1957-03-28 第26回国会 衆議院 社会労働委員会 第31号

労働政務次官  伊能 芳雄君         労働事務官         (大臣官房総務         課長)     村上 茂利君  委員外出席者         厚生事務官         (社会局保護課         長)      尾崎 重毅君         専  門  員 川井 章知君     ――――――――――――― 三月二十六日  引揚者給付金等支給法案中の支給範囲終戦前  旧蘭印引揚者包含

会議録情報

1956-04-11 第24回国会 参議院 本会議 第34号

この議定書は、日本は第二次大戦中、旧蘭印において抑留されたオランダ民間人に対し、見舞金として千万ドルに相当するポンドを、五年間に分割して支払うことを内容としたものでありまして、これは、サンフランシスコ平和条約調印の際、わが吉田全権オランダ全権との間に、第二次大戦中、旧蘭印で抑留されたオランダ民間人のこうむった苦痛に対し、日本は好意ある自発的措置をとることを確認した書簡交換された後に、初めてオランダ

鶴見祐輔

1956-04-10 第24回国会 参議院 外務委員会 第7号

政府委員下田武三君) 戦時中旧蘭印で抑留いたしましたオランダ人と同様の目に合いました連合国人は実は各地にあるわけでございます。香港におりましたイギリス人を抑留いたしましたり、あるいはマレー方面におきまして、シンガポールにおきまして、それぞれシビリアンを抑留したこともあるわけでございます。

下田武三

1956-03-28 第24回国会 参議院 外務委員会 第6号

第二次世界大戦中、旧蘭印地域に在住し日本軍によって抑留されたオランダ国民は、食糧不足、悪居住条件衛生及び文化施設欠如等によって多大の苦痛をこうむり、その結果として多数の死亡者及び廃疾者を出したのでありますが、昭和二十六年九月のサンフランシスコ平和会議に際し、オランダ政府は、この問題を提起し、その結果わが国吉田全権委員オランダスティッケル全権委員との間で書簡交換を行い、右の被抑留者が受けた

森下國雄

1956-03-23 第24回国会 衆議院 外務委員会 第23号

第二次世界大戦中、旧蘭印地域に在住し日本軍によって抑留されたオランダ国民は、食糧不足、悪居住条件衛生及び文化施設欠除等によって多大の苦痛をこうむり、その結果として多数の死亡者及び廃疾者を出したのでありますが、昭和二十六年九月のサンフランシスコ平和会議に際し、オランダ政府は、この問題を提起し、その結果わが国吉田全権委員オランダスティッケル全権委員との間で書簡交換を行い、右の被抑留者が受けた

森下國雄